旅行メモ 富山石川2023年6月

旅行

びゅう 3つの人気観光列車に乗車2日間に参加してきました
ものすごく久しぶりのツアー

観光列車がメインなのもあり、1人参加の方が結構多いように感じた

1日目

8:36 東京駅かがやき505号

朝からなかなか重い朝飯

11:04 金沢駅到着

11:21 能登かがり火3号

12:13 七尾駅到着

のと里山里海3号

12:30 のと里山里海3号 2両目里海車両

のと里山里海号は、石川県の七尾駅と穴水駅を結ぶ観光列車です。2015年4月24日に運行を開始し、運行会社はのと鉄道です。
列車の名称は、能登の里山里海の豊かな自然や、人々の暮らしをイメージしてつけられました。
列車は2両編成で、1号車は「里山車両」、2号車は「里海車両」と名付けられています。
「里山車両」は、能登の伝統工芸品である「加賀友禅」の柄を基調としたデザインです。座席は、ゆったりとしたボックス席と、グループで利用できるテーブル席を用意しています。
「里海車両」は、能登の海の豊かさをイメージしたデザインです。座席は、海を眺めながらくつろげる窓際席と、車内イベントなどにも利用できるフリースペースを用意しています。
車内には、能登の観光情報を提供するサイネージや、地元の食材を使った軽食や飲み物を提供するショップがあります。また、車窓からは、七尾湾の美しい景色や、能登半島の豊かな自然を楽しむことができます。
関連リンク(のと里山里海号HP)

特製寿司御膳 

1両目里山車両では日本酒などを購入できる

途中10分ほど 鉄道郵便車の内部を見学した
郵便車は2機しか現存していないとのこと

全国に2両しか現存しない鉄道郵便車「オユ10 2565」が保存されている。この車両は、昭和44年に製造され、昭和61年に鉄道郵便が全面廃止になるまで郵便輸送に活躍していた。
関連リンク(鉄道郵便車保存会HP)

景色がいい場所は少しの間止まってくれる配慮もありました

13:30 穴水駅到着

妙成寺

14:00? 妙成寺 バス

妙成寺は、日蓮宗の北陸本山で能登随一の大伽藍を有している。境内の建物10棟が国の重要文化財に指定されており、桃山時代の荘厳華麗な建造美を今に伝えています。特に五重塔は多彩な彫刻が施され、北陸随一の圧巻と称されている。
関連リンク(妙成寺HP)

滞在時間は50分ほど 現地ガイドあり

16:00 七尾駅到着 バス移動

花嫁のれん4号

16:36 花嫁のれん4号 

1号車は半個室タイプ 
各室でデザイン異なっていた

花嫁のれん号は、石川県の金沢駅と和倉温泉駅を結ぶ観光列車です。 2017年3月25日に運行を開始し、運行会社は西日本旅客鉄道(JR西日本)とIRいしかわ鉄道です。
列車の名称は、加賀藩の領地だった能登・加賀・越中には、花嫁の幸せを願い婚礼の日にのれんを贈る「花嫁のれん」という風習があることに由来しています。この風習を、列車に乗車するお客様の幸せを願う思いに込めています。
列車は2両編成で、1号車は半個室、2号車はボックス席やカウンター席が配置されています。車内は、淡いピンク色を基調とした優しい雰囲気で、カーテンや座席には、金沢の伝統工芸品である「加賀友禅」の柄が施されています。
車内には、金沢や能登の観光情報を提供するサイネージや、地元の食材を使った軽食や飲み物を提供するショップがあります。また、車窓からは、日本海の雄大な景色や、金沢城などの歴史的な建造物を楽しむことができます。
関連リンク(花嫁のれん号HP)

1号車で地酒や地ビール、オリジナルグッズを購入できる

17:54 金沢駅到着

 金沢マンテンホテル チェックインで解散

夕食 いしや

18:30 いしや

正直全部おいしかった
郷土料理のじぶ煮っていうもの初めて食べたのだが、少しとろみがあって体の中から温まるようだった

じぶ煮は、石川県金沢市の郷土料理です。鴨肉やすだれ麩、季節の野菜などを煮て食します。鴨肉には小麦粉がまぶされているため、とろみがあるのが特徴です。
じぶ煮の歴史は古く、少なくとも江戸時代から食べられていたとされています。当時は、加賀藩の領地だった能登・加賀・越中には、鴨が多く飛来していたため、鴨肉を使ってじぶ煮をよく食べていたそうです。
じぶ煮の名前の由来には、いくつかの説があります。
・岡部治部衛門という人が朝鮮から伝えた料理だからという説
・煮ているときに「じぶじぶ」という音がするからという説
・じぶじぶと煮込むことで、肉の旨味が閉じこめられるからという説
かん(農林水産省のうちの郷土料理)

金沢城

21:00 金沢城 

ライトアップしてたが中には入れず(21:00まで) 
外周の石垣のライトアップのみ

金沢城は、石川県金沢市にある日本の城です。江戸時代には加賀藩主前田氏の居城だった。城址は国の史跡に指定されており、城址を含む一帯は金沢城公園として整備されている。
金沢城は、加賀国石川郡尾山(現・石川県金沢市丸の内)にある、戦国時代から江戸時代にかけての梯郭式の平山城である。犀川と浅野川とに挟まれた小立野台地の先端に築かれた。
金沢城の築城は、天正11年(1583年)、前田利家が金沢城に入り、その直後から本格的な城づくりが始められた。キリシタン大名として知られる高山右近を招き、築城の指導を仰いだと伝えられている。
本丸には三階櫓と二の丸には御殿が建てられた。寛永8年(1631年)の火災の後、二の丸の拡大や辰巳用水の通水などにより城の構造が変化するなかで、武家屋敷も城外へと出された。内堀を掘り、土を掻き上げて各曲輪が区画されていきました。宝暦9年(1759年)の火災では、城のほとんどを焼失した。
明治以降、第二次世界大戦の終戦を迎えるまでは陸軍第九師団司令部が設置され、陸軍の拠点として使用された。戦後は城内に国立金沢大学が置かれ、平成7年(1995年)まで本部キャンパスとして利用された。
平成20年(2008年)には、城内の鶴丸倉庫が国の重要文化財に指定され、金沢城自体も国指定史跡になった。平成22年(2010年)に金沢城三御門の一つ河北門が再建され、内部が公開されている。
(金沢城HP)

21:10 酒粋 醍醐で2次飲み

23:00 ホテルもどる

2日目

9:00 チェックアウト

 バスで移動

雨晴海岸

10:10 道の駅 雨晴に到着

雨晴海岸

雨晴海岸は、万葉集にも詠まれた古くからの景勝地です。また、松尾芭蕉の『おくのほそ道』にも登場し、その美しさは古くから多くの人々に愛されてきました。
雨晴海岸は、四季折々の表情を見せてくれます。春は新緑、夏は青々とした松林、秋は紅葉、冬は雪景色と、いつ訪れても美しい景色を楽しむことができます。
雨晴海岸は、ハイキングやキャンプ、海水浴など、さまざまなレジャーを楽しむことができます。また、道の駅「雨晴」や、雨晴温泉「磯はなび」などの観光施設も充実しています
関連リンク(道の駅雨晴HP)

10:50 氷見駅到着

ベル・モンターニュ・エ・メール2号

11:05 ベル・モンターニュ・エ・メール2号 

寿司職人同乗している
食事は事前予約が必要だが、余裕があれば社内カウンターで販売してくれる
日本酒なども購入可能
途中高岡駅で乗客を乗せたままの分岐移動イベントもあった

列車の名称は、フランス語で「美しい山と海」を意味しています。列車のコンセプトは「走るギャラリー」で、車内は窓枠を額縁に見立て、沿線の美しい景色を楽しめるようにデザインされています。
車両は2両編成で、1号車は「山車両」、2号車は「海車両」と名付けられています。
「山車両」は、井波彫刻の欄間や、高岡銅器の吊り革を配し、山の雄大さや温もりを感じられるデザインです。座席は、ゆったりとしたボックス席と、グループで利用できるテーブル席を用意しています。
「海車両」は、能登の海の豊かさをイメージしたデザインです。座席は、海を眺めながらくつろげる窓際席と、車内イベントなどにも利用できるフリースペースを用意しています。
車内には、沿線の観光情報を提供するサイネージや、地元の食材を使った軽食や飲み物を提供するショップがあります。また、車窓からは、城端の町並みや、氷見の海岸線など、石川県の自然と文化を満喫することができます。
関連リンク(JRおでかけネット)

11:53 新高岡駅到着

 バス移動

12:30 道の駅・万葉の里高岡

 自由昼食 大盛メニューや10段ソフトクリームがあった

金屋町

13:50 金屋町散策 ガイドあり

木造建築の落ち着いた雰囲気
歩くと風鈴の心地よい金属音がきこえる

金屋町の歴史は、江戸時代初期に遡ります。

1609年(慶長14年)、加賀藩の2代藩主・前田利長が高岡城を築城した際、町の繁栄を図るため、7人の鋳物師を礪波郡西部金屋村(現・高岡市戸出西金屋)から現在の金屋町に移住させました。
この7人の鋳物師は、高岡銅器の基礎を築いた人物として知られています。彼らは、高岡城の鋳物や、仏具、茶道具などの製造に従事し、高岡銅器の名声を高めました。
江戸時代以降、金屋町は高岡銅器の産地として発展を続けました。また、町の中心部には、千本格子の家並みが形成され、美しい町並みが残されています。
明治時代以降、金屋町は高岡市の一部となりました。現在も、高岡銅器の産地として、また、豊かな自然に囲まれた町として、多くの人々に親しまれています。
関連リンク(とやま観光ナビ)

瑞龍寺

14:40 瑞龍寺

たまたま職員による案内があったが、ない場合もある
今回は運よく?住職?の案内があってとても話が面白い
こういう人が歴史の先生だったら私はもっと勉強が好きだっただろうにと思う

瑞龍寺は、1612年(慶長17年)、加賀藩2代藩主・前田利長の菩提を弔うために、3代藩主・利常によって建立されました。利長は、高岡城を築城した後、この地で自害しました。利常は、義弟である利長の死を深く悔やみ、その菩提を弔うために、当時の名匠である山上善右衛門嘉広に七堂伽藍を建立させました。
瑞龍寺の伽藍は、整然とした配置が特徴です。山門をくぐると、正面に本堂、左手に庫裏、右手に鐘楼が並びます。本堂は、入母屋造り、本瓦葺きの堂宇で、内部には、利長の位牌が安置されています。庫裏は、江戸時代初期の建築で、国の重要文化財に指定されています。鐘楼は、江戸時代後期の建築で、高岡銅器の鋳物師によって製作されました。
瑞龍寺の庭園は、枯山水庭園で、国の名勝に指定されています。庭園は、山上善右衛門嘉広の設計によるもので、白砂と石組で構成されています。庭園は、四季折々の表情を見せ、多くの人々に親しまれています。
関連リンク(瑞龍寺HP)

-15:40

16:00 新高岡駅到着

16:22 はくたか570号

最後の腹ごしらえとともに帰路

19:12 東京駅到着

観光マップ

さいごに

今回、富山石川に行ったのは2023年6月のこと
私が行った場所そして出会った人、少なからず2024年能登半島地震に被災してるであろうと思う
心から無事を祈り、いままで以上に美しく活気のあるまちに復興できるよう切に願います。

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